立ち止まってみたら、豊かだった / 絵描き:幸山 将大
「どうやらただ歳をとるだけでは、豊かな人生にならないのかもしれない」
社会に出て働くようになって、薄々、そう感じるようになった。
豊かな人生 と聞いて
例えば「お金をたくさん持っていること」を思い浮かべる人もいるだろうし、
「好きなことを仕事にすること」をあげる人もいるだろう。
もちろんどちらも、豊かさの側面なのかもしれない。
しかし、豊かさの定義だったり、それを実現する方法は
子どものころに漠然と思っていたよりもはるかに多かった。
20代最後の年を迎えた私は、出会う人たちの豊かな生き方の多様性に驚きを隠せない。
それぞれのお話を伺うなかで、自分と向き合うための道具を持つことで見えてくる、
豊かな人生を送るためのヒントがあるような気がしている。
今回ご紹介するのは、数ある道具のなかで「絵」を使っている
絵描きの幸山 将大さん。
「絵」と聞くと一見 特別な表現活動に感じられるかもしれないけれど、
その本質はどの道具を使ってもきっと変わらない。
ご自身に置き換えながら、
どうか最後までお付き合いいただきたい。
— 幸山さんは、1988年生まれ、岡山県在住。
「何度でも立ち返るべき心の居場所」をテーマに絵画を制作している。
2年前の展示『いつか見た光が向かう方へ』はこの絵を含む、約20点を並べたもので、
テーマは「光を描く」ということだった。
— そして「光を描く」というテーマの次に、
幸山さんが選んだのは、「立ち止まる」ということ。
どうして光に向かっていった先で、立ち止まることにしたのだろう。
偶然にも、わたしと同い年の幸山さん。
絵にあらわしたものをニュアンスを変えることなく伝えられるような、ことば。
それらを丁寧に探るようにして、今回、お話をしてくださった。
絵を描くことで気づけた、立ち止まること
— これまで幸山さんは「前に進む」を原動力として、絵を描いてきた。
絵を描くようになる前は、言葉で当時の気持ちを日記に吐き出していたという。
学生時代、友人がいないことをはじめとする、うっぷんばらし。
その うっぷん が言葉に収まりきらなくなって溢れてしまったことが、
絵を描き始めるきっかけとなった。
幸山さん:「進む、進む」を原動力に描いていると、
うっぷんもだいぶ消えてきた代わりに、今度は 焦りとか不安がでかくなった。
気持ち的なところで磨耗していったんですよね。なんか、長くは続かんなって思ったので。
幸山さん:たとえば、美容師になる夢を叶えた人がいたとして、仮に寝るのが2時間だったとしても、それでも楽しいから続けると思うんです。
でも、そうしているうちに身体をこわして辞めたとする。そこからスローライフになるみたいな。それってちょっと変だなとおもうから。
やっぱり死ぬまで美容師やりたいでしょ、その人ってたぶん。
っていうところを考えると、自分のテーマとしてそういうのがあるなぁと思ったから。
— 幸山さんにとって、絵はこの先も描き続けていきたいもの。
このまま気持ちや心をすり減らしながら描くことでは、それは叶わなくなってしまうと考えた。
幸山さん:ただ、今まで「立ち止まる」を絵でやったことがなかったから、不安はありました。
立ち止まっていても大丈夫って思えないと、まず休めない。ある意味、委ねるに近いじゃないですか。
前回の展示(2年前『いつか見た光が向かう方へ』)がおわったときに、それができてないって思ったんです。
— 自分の人生のなかで「立ち止まることができていない」という感覚をもてることは、なかなか無いことだと思う。
漠然と日々のなかで抱くザワザワした感覚はあっても、
その正体と向き合う方法がわからないことが多い。
幸山さんが立ち止まるタイミングを見極めることができたのは、
「絵」という道具を使って、自分を客観的に見ることができたからなのではないか。
立ち止まってみたら 思った以上に 豊かだった
幸山さん:例えば、しんどいなかで もがくタイミングや、磨耗したから立ち止まりたいっていう感情。それは、それぞれの人のなかで、心のどこかにある。
自分が日記を書いてるときから、なんとなくそうだろうなと思っていました。
— 幸山さんが今回の個展のテーマを友人に伝えたとき、
ちょうどその友人は、自分が最近立ち止まっていないことに気がついたという。
そして友人は1週間後に個展に訪れ、
「なんか答えが見えました」と言ってくれた。
幸山さん:そのときが、まー、嬉しかったんですよね。
不安はあったけれど、立ち止まってみたら、思った以上に、豊かだった。
絵を見てくれた人のなかのテーマと重なったらいいなぁと思っていたから、よかった。
— 幸山さんがいう、「立ち止まる」とは。
お話を伺ったうえで、わたしの感覚に置きかえたとき、
それは「受け取る」という感覚に似ていた。
「進むこと」を「与える」とするならば、
「立ち止まること」は
ただ受け取ること。
「与える」ことばかりを求められる社会のなかで、
ともすれば見失いやすい時間だ。
— 幸山さんの「立ち止まる」をテーマにした今回の展示は、
そんなわたしたちに 受け取る時間 を与えてくれた、とても豊かな時間だった。
思いがけず貰った、絵を描く意味
— 幸山さんにとって、絵を描くことは、
自分自身と向き合う旅のようなもの。
振り返れば、学生時代から、光の部分にもそうでない部分にも向き合ってきた。
絵を勉強したくて美術科に入学したものの、そこでは絵を描く授業が週に1度あるかないかという状況。
大学を辞めようかとも思ったという。
しかし、思わぬ方向から、幸山さんは「絵を描く意味」をもらうこととなった。
幸山さん:大学でいいサークルに出会ったんです。絵関係じゃないんだけど、子供会のサークルがあって。
そこでは子どもと一緒に工作をしたり、ゲームをしたりする。
そのサークルにいる人たちを見て「素で笑っている人たちだ!」と思った。
「集団で笑っている」というのがよくわかっていなかったから、こりゃ陰口とか言ってないんだろうなと。
そこに身を置いたら、人間更生できるんじゃねえかなと思いました。
絵は描けんけど、4年間いってみようかと思って大学に通った。
行ったら、自分の絵を描く意味みたいなのが、そこで出てきた気がする。
— 正直、すごい決断である。
絵が描けない場所を、学ぶところとして通い続ける選択をすることは。
しかしそのおかげで、幸山さんにとって
「絵」は今後も一緒に人生を歩んでくれるパートナーとなった。
人生の豊かさを受け取る道具をもつこと
— この記事のはじめに載せた『いつか見た光が向かう方へ』の作品のひとつである、この絵。
実は今、わが家に置かせていただいている。
— 結婚記念日のお祝いに、夫婦でこの絵を買うことにした。
このインタビューをさせてもらう前から、この絵が放つ光のようなものに
すっかりわたしは惹かれてしまっていたからだ。
幸山さん:クジラは自分が、希望とか、夢とかを大事にできる人でありたいなという象徴。
それを描いているときって、そうじゃない自分もいるから、そういう光と一緒にずっと生きていきたいなって思って描きました。
いまの自分が夢そのものではなくて、ちょっと先の夢や自分と一緒に生きていきたいなって思ってて。
— 知らず知らずのうちに、わたしはこの絵にこめたものに共感していたのかもしれない。
この絵を初めて見たとき、「先は見えないけれど、前をむいて行かなければいけない、行きたい」
というわたしの想いと状況があった。
「この絵をお守りとして手元に置いておきたい」という気持ちが、絵を見て初めて湧いたのだ。
その気持ちを伝えると、幸山さんは、照れながらも想いを受け取ってくれた。
幸山さん:そういうことなんだよね。
そういう形で、絵を見てくれた人に伝わってたらいいなっていう理想はもっていたけど、
それがね、目の前に来ちゃうとだいじょうぶか?ってなっちゃうね(笑)
これであってんのか?って。
だけど、ちゃんと受けとらんと。そこ拒否しちゃうと、なんもならんからね。
ありがとうを受け取って、次につながっていける人になるんかなぁ。
あなたにとっての、自分と向き合うための道具は何だろう。
それは絵のような表現活動かもしれないし、
本を読むことや料理をすることかもしれない。
見つけた道具で自分を見つめながら、
進んだり、時には立ち止まったりすることも、
豊かな人生の側面なのだと思う。
ただ歳をとるだけでは、豊かな人生にならない、らしい。
そのことだけは、わかったよね。
と、同い年のふたりは笑った。