日常のなかにある、人生の使命との出会い /『児島帯』開発者:那須 七都子
『岡山で新たな文化が生まれようとしているところに立ち会ってしまった…』
使命を持って生きることを決めた人の想いは、こんなにもまっすぐに届くのか。
100年後、つまり「そのときにわたしはいない」未来を見据え、新しい文化を生み出そうとしている女性がいる。
岡山のデニムを使った『児島帯』で、岡山独自の着物文化をつくる、那須 七都子(なす なつこ)さんだ。
インタビューを終えて、頭の中で反芻されることばの数々は、凛としていて、優しいまっすぐなことばたち。
良いと思う感覚に 素直になる
新たな文化をつくる小さなきっかけ
— 結婚後に教養のひとつとして着付けを学び始め、着物や帯が身近な存在となっていた那須さん。
ある日、京都の和文化の集いに参加することとなった。
「せっかく京都まで行くなら、岡山を紹介するものを作ろうかな」と思い、児島で有名な繊維産業に目を向ける。
那須さん:当時、児島には和物の種類は豊富だったのに、なんで帯は無いんだろうと思っていました。
だから「無いなら作っちゃえ」という軽いノリで帯を作ることに。
そしたら思った以上にいろんな反響があって。
面白いと思ってくれる人がいるんなら、世の中にあっていいんじゃないか。
そこから本格的に考えて今に至ります。
— 児島の繊維産業の中で、デニム・たたみべり・さなだひもを使ってできた『児島帯』。
世界に誇れる産業が岡山にあることを発信できる、とても面白い素材の帯だ。
出会いから芽生える感謝の念
地元の職人さんたちと連携して、帯と真剣に向き合い、生地や素材を試行錯誤する日々。
デニム一つにしても戦後70年もの歴史があり、新しい生地が開発され続けている。
那須さん:縫製している方は、みんなほとんど着物を着る機会はない。だけど、帯を身につけて喜んでくれる人の姿を思い浮かべて、試行錯誤してくれている。
自分のためではなく、人のためにしている姿。まさに職人魂ですよね。
それが伝わってきて、児島という土地に出会えたこと、産業に携わっている人に出会えたことは私にとっての宝だと思っています。
— 職人さんや地域の方みんなで作り上げる帯。
その製作過程に感動した那須さんが、そこにいた。
那須さん:感動した自分がいなければ、その良さは相手にはなにも届かない。
「ものすごくいい」という自分の強い思いが、相手を動かすと思うんです。
みんなが作ってくれた帯にどれだけの思いがつまっているか伝えたい。
那須さん:ふるさとの神戸から岡山に来て25年。
たとえば水だったり、気候風土だったり、自分を形成しているものは岡山のものであると気づいたんです。
そして帯を一緒に作ることで、これまで出会えなかった人との出会いがあり、お礼がしたくなるその感覚が強くなっていきました。
岡山っていうものを、みんなと一緒に愛せるものをつくっていきたい。
そしてそれが岡山を表すものになったら、人とのご縁や場所とのご縁が増えていくなと思ったんです。
— 那須さんが伝える児島帯は、着物を着るための帯としてだけではない。
たくさんの人の思いが形になった、人との絆を結ぶものなのだ。
ものに対する感謝。人に対する感謝。出会いに対する感謝。
いくつもの感謝が原動力となり、自身の使命のために日々活動する那須さん。
その感謝の念が一瞬でも無くなってしまったとき、人は傲慢になってしまう、見透かされてしまうのだという。
日本人ならではの自己表現の仕方とは
— 那須さんにとって「帯」とは、一体何なのか。
そして「帯」をとおして、何を伝えようとしているのだろうか。
那須さん:一番大事に思っているのは「結び方」。
よくされている太鼓結びもいいけれど、「これしかないんだ」じゃなくて、生み出していくエネルギーを持って生きなければならないと思います。
なんでもいいわと思って着てしまうのはもったいないです。
那須さん:帯は朝に結んで、パジャマを着るときにはほどいてしまう、一日限りのアートです。
洋服と違って、「後ろが美しい」と言われる衣装ってなかなか無い。
世界から見ると「自己主張のない日本人」と言われるけれど、日本人ならではの表現はここだと思います。
— 効率や機能性を優先したり、気軽に海外の文化に触れられるようになったりすることで、逆に日本の文化がマイナーになることがある。
着物という民族衣装を着なくなることで、失ってしまう表現力があるのかもしれない。
那須さん:自己表現であることを念頭に置けば、いつもの着物の着方とは意識が変わりますよね。
今日何を着て出かけよう、洋服か、着物か。着物なら帯をどう結ぼうか。
そうやって自分の中のワクワク度を高める過程で、本当の自分を見つけられるんじゃないかと思うんです。
— 帯結びは、着物、帯、そして自分を生かすアート。
それを生み出していく喜びが、今の時代の着物を楽しむ原動力になっていく。
自分がいない100年後を見据えた文化づくり
— 時代の流れとともに、つくり出されていく文化。
「これから先、この帯が文化として残っていくのであれば、自分がいなくなっても愛してもらえるものを作る責任がある」と語る、那須さん。
那須さん:岡山の着物文化を作るには時間がかかります。それは必要なこと。
自分が生きている間にどうこうではなく、その間に研ぎ澄まされ、洗練され、いい形になればいいと思っています。
100年後、つまりわたしが間違いなく生き続けない年代に、誰かに「おもしろいね」「岡山の着物文化の1つだもんね」と言ってもらいたい。
そうやって残っていけるように、もっと使い勝手やデザインのいい、みんなに愛してもらえるものをつくる責任をもらっていると思っています。
— 最近、那須さんは面白いと思った出来事があったという。
那須さん:二十歳の子が「岡山の花街を復活させたい」と言ってきたんです。
大人になると「なんかそれって役に立つの?」「どういった得があるんですか?」という損得感情がでてきてしまう。
ただ「面白そう」という感情だけでは動けなくなってしまうけれど、その二十歳の子は、好奇心と自分の心に響いたままを受けとめられる柔らかさがあるんだなと思って、とても面白いと思いました。
震えながらも自分の思いを話し、やりたいことの方向性が見えている。岡山のことを盛り上げたいという想いも同じ。
若い世代に期待できる子がいるのは面白いです。わたしも変わり者と言われてきましたから。(笑)
— 使命につながるものは、すごく小さなきっかけなのかもしれない。
そのきっかけから、土地や人との出会いがおこりはじめる。そしていつの間にか、大きな流れの中にいることに気がつく。
そして「これが使命なんだろうな」と思える瞬間に出会えるのだろう。
きっと、この「岡山の花街を復活させたい」という二十歳の女性も、自らの使命に出会うための歩みを進めているはずだ。
人生のなかでその人だけの使命があるなんて、かっこいい。純粋にそう思う。
日常の些細な出来事が、自分の使命に気づくきっかけになるかもしれない。
そう思うと、人との出逢いや出かけることが、なんだかワクワクする。